ものしり研究室

建築学科棟5502号室、ものしり建築研究室です。建築業界や建築家、建築学生の動向を関西の建築系大学院生が自分なりにまとめてます。→社会人になりました。

【時事】「保育園落ちた日本死ね!!!」を建築学生は他人事として考えてはいませんか?

【時事】「保育園落ちた日本死ね!!!」を建築学生は他人事として考えてはいませんか?

※後半でSDL2016の話とつながります。

ブログ「保育園落ちた日本死ね」が国会に取り上げられ話題になっていますが、日本の保育園が増えない理由は保育士待遇の低さもそうですが、これは「建築の問題」もはらんでいると個人的に感じています。

一例に、保育園に必要な(国に認可を受けるための面積の)校庭を確保する土地が見つからず、仮に建てたとしても土地が広すぎるわりに儲からないことなどが問題として挙げられます。この保育園の待機児童問題は今に始まったものではありません。実際に2年前の記事ですが東洋経済新聞にはこのように書かれています。

 

toyokeizai.net

 

そもそも保育所には、国の基準を満たす認可保育所と、その基準を満たさない認可外保育所(無認可と呼ばれることもあります)の2種類があります。認可保育所の場合、0歳児(≒育休明け)には1人当たり3.3平方メートル、子ども3人に1人の保育士が必要です。これを確保しようと思うと、10階建ての保育所ができるならともかく、民間企業が参入しようと思っても採算がとれません。

 

少子化なのになぜ待機児童が増えないのかという問いに答える記事があったので、読んでみると保育士が少ないという根本原因のほかに、意外なのは保育園開設にかかる空間的ハードルが見え隠れしています。

代表的なのは「校庭を確保できる土地が確保できない」「土地の広さの割りに儲からない」という問題の根底にあり、「同じ広さなら駐車場の方が儲かる」という理由もありました。

 

では、そもそもなぜこのような待機児童問題が起きてしまったのでしょうか。

 

話がやや大きくなるのですが、そもそも日本は高度経済成長の流れにのって、農業・生糸産業から重工業社会へ転換し、都心が地方から若者の労働力を吸い上げる形で大家族の「世帯分離」と「核家族化」が始まりました。つまり、核家族だとそもそも子育てに祖父や祖母が参加できないため、最近の共働きの動きに伴って保育需要が加速的に生まれているということです。昔は3世帯同居は当たり前で、そもそも介護不足問題も待機児童問題も顕在化していませんでした。

 

ひいては戦後から一貫して続いている東京一極集中もその大きな原因で、保育園の待機児童問題は主に人口拡大が激しい首都圏で発生しており、近年の建築業界でのマンション開発の流れとも深く関連しています。圧倒的な数の上京者に街の機能補填が追いついていないのです。実際に地方都市では待機児童問題はさほど深刻な問題にはなっていないのです。

www.sankei.com

 

つまり、「世帯分離」「核家族化」と東京一極集中、そして「共働きをしないと住宅ローンを返せない(もしくは、そもそも飯を食えない)現状」などの建築が絡んだ複合的な原因が、家庭内での保育を不可能にさせた原因ともいえるのです。その責任は、いわゆる「近代家族像」のあり方を助長させた建築業界にもあるといってもよいでしょう。

大切なのは「少子化といわれている時代になぜ保育園が足りないのか」という根本的な問いに対して、そもそも自分達(建築業界)で解決可能な問題ではないかを問いただす自己批判姿勢をもつことなのです。「私たちは関係ない」というのではダメだと思います。

 

 

2016年のSDL2016、卒業設計日本一決定戦の結果で思ったこと。

一方で東洋経済新聞の記事のなかに「こども園」というキーワードも出てきていました。

一方で、幼稚園は少子化に伴って閑古鳥が鳴く状態になりつつあります。私は大都市圏の公立の幼稚園というのは、もはや役目を終えて民業圧迫の域に達しているため、保育の機能も備えたこども園になるべきだと考えるのですが、なかなかそうもいかないようです。

 

ここで出てくる「こども園」とは保育機能を備えた幼稚園のことで、幼保統合の可能性として注目されてきたビルディングタイプです。いくつかの都府県で条例が制定されています。以下のURLには説明があるので読んでみてください。

認定こども園について 東京都福祉保健局

 

面白いことに、今年の「せんだいデザインリーグ2016」で卒業設計日本一を勝ち取った作品のビルディングタイプが「こども園」だったということは興味深いです。社会の中で起きている「保育園落ちた日本死ね!!!」の話題性と上手くリンクしています。

 

個人的に思うのが、社会動向に上手くマッチした卒業設計は、つよい批評性や訴える力をもっているのだと感じました。建築が社会と対話し続けることの重要性はそこにあることだと思います。

ここであまり細かく作品の空間の話をするのは避けますが、卒業設計日本一決定戦の結果を聞いて何となく納得した理由のひとつに、「保育園落ちた日本死ね!!!」の切実な社会の叫びが日本中で巻き起こっていたからだと感じています。卒業設計では、このような視点をもって設計することが大切なのだと思いました。