日本的とは何か、令和改元に思うこと。
@monoshiri_lab Twitterより
令和改元、おめでとうございます。
元号が平成から令和に改元されたことで、気持ちを新たに切り替えた方も多いのではないでしょうか。
この一連の改元ムードのなかで、日本的な要素の構成には、ある種の「匿名性」が潜んでいるのではないかと思いませんでしたか。
そもそも、国歌である『君が代』や「日章旗」は作者不詳で、元号に関してもその名付け親を知っている人は少ないでしょう。
でもそれを議論する必要性がないことが日本の美徳であるように思います。
時の首相が令和の選定に関わったと誇らしげにしているような話を聞くと、匿名性という視点から見れば、やはり違和感を感じるのです。個人的に。
この先の令和新時代は、国家・マスメディア・大企業から発信される「大きな物語」を軸に生きるか、近所から聞こえる痴話喧嘩のような「小さな物語」を軸に生きるかも自分次第です。
世界的なベストセラー『サピエンス全史』『ホモ・デウス』のなかで、クロマニヨン人やネアンデルタール人と違い、ホモ・サピエンスは、「フィクションを信じる力」を手に入れることができたと解説されています。
それがホモ・サピエンスが人類の頂点として生き残った理由とされています。
人類の進化の過程にある「通貨・国家」等の近代的な権威を信じることは、例えそれが "茶番" だと分かっていても、そのフィクションを否定する行為自体が、ホモ・サピエンスとしての人類の進化の根源を否定することに繋がるのです。
保守の価値観の根源はそれであり、やれ日の丸が…、やれ移民が…、ではありません。
令和新時代、日本の保守観もアップデートされていくと良いですね。
それでは。
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